芋の露連山影を正しうす(飯田蛇笏) | ||
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作者、飯田蛇笏(だこつ)(1885年4月26日〜1962年10月3日)は
故郷山梨に家業を継ぎ戻っておりました。当時の、俳句雑誌「ホトトギス」への投句もやめて数年。
やめた原因の1つでもありました、師事していた高浜虚子は俳句から身を引いておりましたが、再び活動。
蛇笏もまた投句を始めました。この句はその頃に詠まれた句です。
足元の畑には里芋の葉に(トトロが、傘の代わりにしている大きな葉)キラキラと光る丸い露。
露の中に、連山が映り込んでいる。こんな小さな露の中に大きな連山が映り込んでいる。
まだまだ、小さな私だがあの連山のように揺らぐ事の無い真のある生き方をと決意をあらたにしたのです。
頭を上げ、遠くに目をやれば南アルプスの連なる山が整然とそびえている。
アルプスの山脈が姿勢を正していると(人のようにたとえて)。再び俳句の投稿を始めた作者の決意。
蛇笏の代表作です。
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虚空蔵山(こくぞうさん) | ||
左写真は、先の俳句でも紹介いたしました浜当目海水浴場から眺めです。
奥に見えます山は焼津市の北部になります海辺の山並みです。
名称は虚空蔵山。
昭和の前半は焼津市から隣接する静岡市にいくためには、こちらの山側を越えて行く道が主なルートでした。
あれから、時が流れ、
日本経済の成長と共に、新しいルートが建設されていきました。
山を削り、海上には橋を建設、眺める景色は変わっていきました。
ただ、海の向こうにみえる端の山並みだけは変わらずに。
昔と変わらない風景にほっとします。今までの人生が思い出されてきます。
焼津市の中心から虚空蔵山に向かう途中、橋を渡ります。 子供の頃の2月23日は、浜当目の弘徳院のダルマ市に行くために、沢山の人がその橋を渡っておりました。 海からの冷たい風が橋の上を吹き抜ける中をほとんどの方が歩いて行くのです。 寒いなかに、そこまで来ている春を感じながら。 ダルマ市が終わると間もなく春の便りがとどきます。 ダルマ以外にも、美味しいお菓子を買う楽しみもありました。 コロンと赤いダルマが入った透明のビニール袋とお菓子を手にもって帰ります。 虚空蔵尊ダルマ市 2月23日、浜当目の弘徳院で行われます。 「京都嵐山」「焼津」「伊勢朝熊」と並ぶ日本三大虚空蔵尊のひとつで、 家庭内安全を願いダルマを買う人で賑わいます。 毎年、送りダルマと言って2月13日が古いダルマを納める日。 迎えダルマと言って2月23日が新しいダルマを買う日。 虚空蔵山山頂には船舶無線電信発祥の碑などが有り、そこから見る焼津港や市街地は絶景です。 山頂の香集寺は815(弘仁6)年創立古寺で、 本尊の一木三体像は聖徳太子の作といわれています。」(焼津市観光協会より) 弘徳院(曹洞宗寺院)浜当目1727 (虚空蔵山のふもと) ビキニ環礁での水爆実験で被爆をうけた第五福竜丸の久保山愛吉氏のお墓があります。 香集寺(仏教寺院)浜当目1727 (虚空蔵山、山頂にある寺院) |