菫程な小さき人に生まれたし(夏目漱石) | ||
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作者、夏目漱石(1867年2月9日新暦〜1916年12月9日)がこの句を詠んだ頃には、
イギリス留学から帰国しております。イギリス留学は精神的にも経済的にも大変な日々でした。
日本に戻ってきも、つらい出来事が続きました。
この句に詠まれている菫。目立つ花ではないが可憐で、小さき花だが力強く咲いている。
清らかな、そんな花のように 生まれ変わりたいものだと。
古典文法では「生まれたし」の「たし」は、願望の助動詞です。何々したい、して欲しい、両方の意味があります。
この頃奥様は妊娠中。未来の子供に託した句にも思えます。
今回は夏目漱石と小泉八雲の縁からこの句を選びました。 夏目漱石のことは、皆さんよくご存じだと思います。 焼津とゆかりのある 小泉八雲はギリシャ生まれ。(1850年6月27日〜1904年9月26日)作家であり、日本研究家、英文学者。 日本の怪談話を英語にまとめて'怪談」を出刷したことは有名です。 さて、偶然的この二人のつながりとは。 小泉八雲は、1891年、旧制の熊本の第五高等学校(熊本大学の前進)で英語教師となる。 その2年後に漱石が赴任する。(小泉八雲とは同時期在籍にはならず。) 次に、1896年、 小泉八雲が東京帝国大学文科大学の英文学講師となる。 1903年、小泉八雲が東京帝国大学退職、後任が夏目漱石。 作家であり、大学で教鞭を執っている小泉八雲をとても意識しながらも、尊敬してました。 作品の中にも、意識が伺えます。 私が学生の時、受験の面接で、聞かれた質問が忘れられません。 試験管の先生が、微笑みながら、「君は焼津か、故郷に縁のある世界に知れる文学者といえば」 まさかと思いながら答えたのが、「小泉八雲」 大変な認識不足を感じながらも、故郷に感謝しながら、この後、試験管の先生と楽しく雑談をするのでした。 試験は、もちろん合格です。 |
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焼津小泉八雲記念館 | ||
小泉八雲と焼津市とのゆかりについても少しお話させて頂きます。
1897年夏。焼津市に小泉八雲が夏休みを過ごすために家族と訪れました。
八雲は焼津の海をとても気に入りました。
それ以降、毎年の夏、海岸通の魚屋を営んでおります山口乙吉さん宅で過ごしております。
焼津の風土、そこに暮らす人々、乙吉さんの人柄が八雲を引き付けて止まなかったのだと思います。。
左の写真は八雲と焼津との資料館として、名称、焼津小泉八雲記念館としてあります。
〒425-0071 焼津市三ヶ名1550(焼津市文化センター内) 電話番号054-620-0022 Fax054-620-0022 入館無料 午前9時〜午後5時 休刊日月曜日 詳しくはホームページをご覧ください。 |