大学も葵祭のきのふけふ (田中裕明) | ||
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作者、田中裕明(1959年10月11日〜2004年12月30日)は京都大学に在籍してました。
葵祭とは、京都の賀茂神社と下鴨神社の祭礼です。正式名は賀茂祭。5月15日に行なわれます。
平安時代から祭りと言えば葵祭のことでした。(左の写真は焼津神社です。)
この句の解釈はさまざまです。詠んだ句のとおり、 葵祭の頃になると町中だけではなく、大学の中にもお祭りの影響があちらこちに感じる。楽しい雰囲気が 伝わってきます。京都の伝統的な祭りの香りが5月の風に乗って大学の構内を駆け巡る。 しかし同じ大学の先輩の解釈は逆です。 先輩いわく在学中にはそんな気配は無かったと。 歴史ある京都大学にいるのだから歴史ある祭りを感じたいと、 祭りの風が吹いて欲しいと言う願いがこの句を詠ませたのだと。 ありえますね。 希望する憧れの大学に入学してみたものの、自分が描いていたイメージとの落差に愕然とすることが。 願わくはの気持ちです。 どちらにしても、葵祭に行きたくなりますね。 |
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焼津神社 | ||
左の写真は、焼津神社の境内にあります日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
石像と君が代に歌われてますさざれ石です。ヤマトタケルの東征伝説に関係する神社として知られてます。
焼津神社の御主祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。
日本武尊の草薙の剣(くさなぎのつるぎ)伝説により、「ヤキツ」と言われるようになりました。
これが、今現在の地名、「焼津」の由来となりました。
草薙の剣伝説(焼津の由来の草薙の剣伝説)12代景行天皇の皇子である日本武尊は天皇に命じられて、東国の平定に向かいます。その時叔母の倭姫宮 (やまとひめのみこと)から剣と火打石の入った袋を受け取ります。 焼津に到着した時、敵に草むらに火をはな放たれます。 受け取つた剣で草をなぎ払い、火打石で、敵に火を放ちました。炎は逆に敵に向かっていき、助かったのです。 念のために、あくまでも伝説です。 (ヤマトタケル伝説が同じよううに現在の静岡市清水区草薙にあります、草薙神社にも伝えられております。) 御沓史跡 こちらの石像はヤマトタケルノミコトが沓(くつ)を脱いで、老女から麦飯を頂いたと言う場所です。 御沓史跡 焼津市焼津6-8-22 住宅街の通りにあります。駐車場はありません。狭い通り道です。 観光地ではありませんのでお気を付け下さい。 日本書紀、古事記の伝説は後生に書き変えられていると。今までの研究によって言われてます。 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は英雄伝説であり、架空の人物説もあります。 地名起源伝説も先に実存名があり、いわれを後付けしたことが多いと。 下の写真も同じ場所の真正面からの写真です。 私が幼き頃、この石像の史跡の隣に保育園がありました。 友達と、石像を眺めながらヤマトタケルごっこをしたものです。 隣の保育園からお帰りの音楽が大音響で流れてきます。 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)役が棒の剣を振りながら それに合わせて皆で楽しく踊るのです。 因幡の白ウサギに出て来る絵本の中の神様も同じ服装でした。 そこでヤマトタケルノミコトのお供としてウサギ役も出てきて踊るのです。 流れていた音楽ですが、歌詞が 子供には大人が必要、または逆の歌詞だったのか。それくらいしか思い出せないのですが。 とにかく楽しく、リズム感がとてもあり、踊りたくなる音楽でした。 焼津神社大祭 荒祭(あらまつり)が毎年の夏、8月12日、13日に行われます。 2台の神輿が市内を練り歩きます。神輿の前後には神役の行列が進みます。神楽舞が御神前に奉納されます。 「国選択無形民俗文化財」の幼児の成長を祈る「神ころがし」や「獅子木遣り」と見所沢山の二日間です。 詳しくは焼津神社のホームページ、または焼津市観光協会ホームページでご確認下さい。 焼津神社 〒425-0026 焼津市焼津2-7-2 電話番号054-628-2444 |